3月のテーマコラム「震災から10年」(byほし)
当時4歳で幼稚園に通っていた娘は中学生になった。
家族で気仙沼へ初めて行ったのは、彼女が小学校に上がる前のこと。
彼女が10歳の時には、夏休みの宿題で僕の友人達にインタービューをしに行った。
その度に気仙沼や志津川の町並みは整理されていき、最後に行ったときは嵩上げで道路の場所が変わってた。
この数年は宮城県に行ってない。
娘の部活や学校が忙しくて家族旅行ができなくなってきたから。
その頃、始めたばかりの会社で僕は自分が何をしたいのか全然分かってなかった。
格好をつけて赤坂の高層階に借りた部屋は地震で大いに揺れ、パソコンのモニターが全て机から床に落ちた。
東京も夜中まで交通機関が麻痺していて赤坂から板橋の当時の自宅まで歩いて帰った。
歩いている間は津波のニュースも見ていなかったので、家について東北で起こったことを見て呆然としたのを思い出す。
その日、僕が決めたことは自分の好きにしようってこと。
すぐに事務所の移転を決め、半年後には会社を閉じて一人でやり直すことにした。
被災地に行ったのは震災から3ヶ月経った頃。
僕に出来ることは何もないというのが最初の感想。
まずは自分のことをしっかりとやろうと思った。
ままならなかった仕事に軸ができてようやく回るようになってきたのが、ようやく今。
宮城もまた変わってきているんじゃないかと思う。
あの時の無力感は少しだけかもしれないけど払拭できたかな。
宮城県に初めて行ったときは一人だった。
また一人で回ってくるのも良いかもしれない。
(writer/ほしあきら)
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